平等感と幸福度

sn-equal-well-being ニュージーランド

あるYoutubeの動画を見ていて、ニュージーランドにも「出る杭は打たれる」という意味を持った言葉があり、「出る杭は打つ」文化があるというのを知った。
それについて、考えたことを書いてみます。

きっかけ

そもそもこれを考えることになったきっかけは以下の動画です。
Kiwi(ニュージーランド人)とフランス人のミックスの方が両方の国の文化の違いなどを紹介しているYoutubeチャンネルで、ニュージーランドのことを英語の勉強がてら知るにはいいチャンネルだと思います。

New Zealand People & Culture: Kiwi Attitudes | Understanding People From New Zealand!

この動画の中で紹介されている「Tall Poppy Syndrome」がそれを意味しています。

まだ、現地の人と何か作業をするということなどをした経験がないので、実体験として感じたことはないのですが、実は、ニュージーランドに来て感じていた違和感の理由はこの「Tall Poppy Syndrome」が関係していたのかと納得した部分もありました。

ニュージーランドに来て感じていた違和感とは

ニュージーランドに到着して感じていた違和感とはなんだったのか?

私はまず、オークランドに到着しました。
滞在もオークランドの中心街(スカイタワーの目の前のホテルに泊まっていたのでど真ん中と言っても過言ではないかも。。)でした。

ロックダウン中で中心街のほとんどの店が空いていないながらも、街中を散歩し、どんなお店があるかはある程度見て回りました。

現在は、首都のウェリントンに滞在し、同じように中心街のすぐ側に住んでいるので、散歩でよく中心街を散策しています。

散策している中で、途上国にしては、ブランドショップが少ないなーと感じていました。ヨーロッパの国々だったら基本的には見かける高級ブランドのお店が、大都市のメインストリートには少なからず並ぶものです。

また、ウェリントンに着いた時には、街に活気が戻っていたのですが、目を見張るような奇抜な格好やものすごく飛び抜けたようなお洒落な格好をした人を見かけないな〜と感じていた所でした。

上記の動画で分かったのは、あまり目立ちすぎるといいことがないということ。
高級品を着まわしたり、華美な格好をしていると周りにとやかく言われるんだろうな〜ということがなんとなく想像がつきました。そして、それが感じた違和感につながっているのかもしれません。

平等感は幸福度を上げる一つの要素ではないか?

さて、実はニュージーランドは、国連の持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が毎年発表する世界幸福度ランキングによると、2020年は第8位につけています。

私もつい最近まで知らなかったのですが、国民の幸福度は世界的にも非常に大会水準であると言えるんですね。

また、2019年には、幸福予算なるものを政府が準備し、国民の幸福に対する国としての取り組みを増やそうという動きもあります。幸福予算の詳しい内容については割愛しましが、幸福度に対する意識が高い国なんですね。

この世界幸福度ランキングの上位にいる国を眺めていて思ったのが、これはあくまで私の仮説にすぎないのですが、平等感を作りだせると幸福度が平均的に高く保てるのではないかということ。

人が不幸だとか理不尽さを感じる時は、基本的には何かと比べている時です。
人は比較することによって、全ての物事を認識していますが、同時に自分が期待する物事とのギャップによって、自分で苦しんだり、他の人を妬んだりします。
この時、恐らく「あいつ羨ましいなー、俺は幸せだなー」とか「なんで自分はこうできないんだ、なんて幸せなんだ」なんて考える人いないと思います。

むしろ、どちらかというと不幸感を感じるんじゃないかと。

つまり、比較の対象が増えたり、比較した時の差が大きいほど不幸を感じるタイミングが増え、幸福度が下がるんじゃないかということです。

また、幸福度ランキング上位の国に注目した時に、これらの国は社会福祉にものすごく力を入れている国です。社会福祉は、老人や赤ん坊のいる親など、一般的な人々との差を強いられる生活をする人のサポート的な役割を果たしていたりします。また、税金の高い国が多いですが、高額所得者に対しても高い税金を課しています。

これらがどういうことかと言うと、一般的に年齢や人生のフェーズの違いによって出てくる生活の差を国の仕事として薄めているんじゃないかと言うことです。

これによって、育児に大変な親も介護に大変な子どももそういった苦労がない人とそこまで大きな違いを感じずにすむ。つまり、自分の苦労を感じていない人に対して、大きな嫉妬や妬みを感じずにすむのです。結果、むやみに幸福度も下がらず、国全体として幸福度の高い状態を維持するための1つの要素になっているのではないか、と言うのが僕の考えです。

品があるとは、相手に違いを感じさせないこと

この違いを感じることによって、幸福度に影響する可能性があるという仮説から、逆に違いを相手に感じさせることで、相手の幸福度に影響を与えているのではないかということを考えました。

例えば、あなたが大金持ちだとします。
周りの友人に金がたくさんあることを見せびらかしても、友人はそれを妬んでしまうかもしれません。

「予想どおりに不合理」という本でもあったのですが、例えば、自分が医者だとして、年収1500万ほど稼いでいたとしても、大学の同期だった友人達が年収2000万を稼いで少しだけ、自分より豊かな生活をしている中にいると幸福度が低いと感じるといったような話がありました。

【10分で解説】予想どおりに不合理 第1章 【全てが相対的】

自分がそういった不幸感を感じたくなければ、自分自身が比較の輪から抜け出すことが重要なのですが、逆に自分がそういった影響を与えていないかと言うことを考えることも出来るなと。

よく品があるなと感じる人は、そういった大きな違いを見せつけない振る舞いをしている人だなということが頭に浮かびました。自分も幸福度高く、しかし、目の前の人の幸福度も侵害しないようリスペクトが態度として現れている。

逆に、自分がお金持っていないという比較によるコンプレックスで成り上がった人は、そのコンプレックスを抱えたままお金を持ってしまうと、他の誰かにそれを示したくなる。そうやって、品のないお金の使い方をしてしまうのかもしれません。

品のあるお金持ちの方は、そもそもこういったことを気にしていない可能性もありますが。

自分の周りの幸福度が高いと自分の幸福度も高まる

スタンスは人それぞれだと思いますが、個人的には、他の人の幸福度を侵害しないような振る舞いをしていきたいなと思いました。

というのも、自分の幸福度も家族や友人といった、自分の周囲の人の状態に少なからず影響を受けるからです。

出来るだけ、関わる人が幸せだと、自分もより幸せを感じれそうだと思いませんか?

資本主義なのは、仕方ないのでそれをカバー出来る仕組みみたいなものがあるといいのかなーと思いました。また、それと同時に自分自身が比較の結果をどう受け取るのかを選択できるような教育も必要だと思いました。

全ての人が、感情で反応せずに「まあ、あの人はそうだけど僕は違うもんなー」とそれをすっと受け入れられたら、比較による不幸感は減るのも事実だと思います。
それが出来れば苦労しないんですけどね。

私がコーチングをしながら学んだことは、自分自身の状態を観察することです。自分がどんな状態かを観察することで、受け取り方や感情もある程度選択できるようになります。

コーチングに興味がある方は、以下のお問い合わせからぜひ連絡してみてください。

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